本校は、旧東海道で唯一重要伝統的建造物群保存地区に指定された関宿の街並みを擁する地域に立地しています。この関宿は東海道五十三次の日本橋から数えて、四十七番目の宿場に当たり、沿道には江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が軒を連ね、往時の東海道の面影を残しています。
本校の歴史をひもとけば、学制改革後の昭和22年、関町立鈴関中学校としてスタートし、昭和23年統合により鈴鹿郡関町外四ケ村学校組合立西部中学校になりました。昭和30年町村合併により鈴鹿郡関町亀山市学校組合立西部中学校となり、昭和36年組合立の解消により校名を変更し、鈴鹿郡関町立関中学校となりました。平成17年の市町村合併により亀山市立関中学校になりました。平成22年に新校舎ができ、現在に至っています。
ホームページの写真は、新校舎の中庭の写真で、中庭は関宿の「街道」を模して山に向かって緩やかな弧を描いています。また、中庭を取り囲む形で、各学年の学習スペースや多目的ホール、メディアセンターなど“生徒”の活動空間を配置しており、木をたくさん使った「木の学び舎」となっています。そのしっとりした風合いと趣、冷暖房や最新設備による整った環境で、必要な素養を身につけることができると共に、落ち着いた学習環境を作ることができます。
生徒たちは、「百年後も変わらぬ校舎」を合言葉に、日々の生活の中で、物を大切にする心、人を大切にする心をはぐくめるよう取り組んでいます。