ただの日記ではない?

来ぬ人をまつほの浦の夕凪(ゆふなぎ)に焼くや藻塩(もしほ)の身も焦がれつつ】
 今年度も教室から百人一首の歌が聞こえてきました。これは、藤原定家の歌ですが、3月25日発行の毎日新聞に藤原定家の日記のことが書かれてありました。その内容は難しくて私には理解することはできませんでしたが、日記というところに目が留まりました。実は、私も、定家さんの同じくらいのときから日記を書いています。もっとも、その中身は、比べものにならないほど薄っぺらな文章ですが・・・。私の日記はどうでもいいのですが、その定家さんの日記を紹介します。(写真は、本日27日の校庭の桜です。)

「新古今集」や「百人一首」の選者、藤原定家(ふじわらのさだいえ)は18歳の時からの56年間にわたる日記「明月記」でも知られる。この日記が20世紀の天文学に飛躍をもたらしたのは日本のアマチュア天文家の功績だった▲1934年、神戸の射場保昭(いばやすあき)は米天文誌への寄稿で明月記にある客星、つまり突然現れた星の記録を紹介した。するとそれが欧米天文学者の注目するところとなり、その一つが今のかに星雲を生んだ超新星爆発であることが判明する。超新星の研究は大きく進展した▲明月記の客星の記述は天体観測をしていた陰陽(おんよう)寮(りょう)の記録をまとめたもので、三つの客星はいずれも超新星爆発だった(斉藤国治(さいとうくにじ)著「星の古記録」)。定家は治承年間の大流星など自らの目で見た天文現象も記録しているが、なかには今まで謎とされていた異変もある▲1204年、京都の北の夜空に「赤気」が現れ、「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」とある。この現象が何とオーロラだったという先日の報道である。国立極地研などのチームが過去の地磁気の軸の傾きや太陽の活動を分析しての結論だという▲京都とオーロラは何とも意外な組み合わせである。太陽から放出された高エネルギーの粒子が大気を光らせるオーロラだが、当時の太陽活動の異常な活発化は他の史料や木の年輪に残る痕跡でも裏づけられたという。地磁気も日本でオーロラが現れやすい状態だった▲この明月記の記録で太陽活動がもたらす磁気嵐という現象の発生パターンが解明できたという。現代の天文学や地球物理学にまで新たな知見をもたらした歌聖・定家の筆、おそるべしである。(3.25毎日新聞コラムより)